自由な『統合』をめざして
平成30年お正月のニュースは主張や対立が目立ちますね。
年男ですので、今年の抱負を忘れないうちに投稿します。
今年は『統合』をテーマにしたいと思います。
6人の目の見えない男たちが象を知る寓話
彼らが宮殿に着くと門番が彼らを中へと通してくれた。最初の男は象の脇腹に触り、二番目は象の鼻に触った。三番目は象の牙に、四番目はその脚に触れ、五番目は耳に、六番目は尻尾に触れた。それから6人は木の下で休みながら、自分たちの経験を話し始めた。
腹を触った男は「象は壁のようだった」と言い、鼻を触った男は「蛇のようだった」と言い、牙に触った男は「槍のようだった」、足に触った男は「木のようだった」、耳に触った男は「扇のようだった」と、最後に尻尾に触った男は「ロープのようだった」と口々に叫んだ。そのとき、王子が来て、何を騒いでいるのかと尋ねた。目の見えない男の一人が、「私たちは皆同じ動物に触ったのに、それぞれが言う象は全く別の生き物のようです」と答えた。王子は笑った。「象は大きな生き物だ。腹は壁のようだし、鼻は蛇のようだし、槍のような牙、木の幹のような脚がある。扇のような耳とロープのような尻尾もある。お前たちはこれらの面を一つに合わせなければならない。そうしてこそ象全体がわかるのだ。」
この話は、すべての知識は部分的なものであることを示している。それを悟れば、私たちは固定的な観念や意見に囚われない。原理主義から解放されるのだ。信念が複数あることを受け入れると同時に、信念から自由であることができる。
完全かつ全体的な視野を持つこと。世界を見ること、そこにそなわった豊かさ全体を見ること。「学び、発見することに常に前向きでなければなりません」と母は言った。
<君あり、故に我あり サティシュ・クマール(P54-56)から抜粋>
ところで、下の絵は何が見えるでしょう。
上の絵をもう一度見てから、ぼんやりとした目で下の絵に戻ってください。ある情景が浮き上がってきませんか。
絵の中に情景が見えるのは、目から入ってくる情報と記憶している概念が相互に連絡しあって、統合されるからです。一度ある情景にロックされると、簡単には元に戻れません。しかし別の概念との連携が強くなると、別の情景に統合されます。完全な全体に近づくには、いろいろな統合状態を自由に移動できる柔軟性が必要です。
断片的な知識や固定観念に囚われない自由な視野を持ち続けられるよう、寛容の心を持ちたいですね。 ■